フクシマボランティア



フクシマが大変な事になった。

でも新潟震災でボランティアを経験していた私は、個人がやみくもに
現場入りするのは危険だと思った。どこかのボランティア団体の機能が
動きだしてからその団体に所属するべきだと思った。

ネットでボランティア情報を集めた。以前から講演会等を主催していた
某平和環境団体が現地でボランティア団体を運営してると知った。
ソレを頼ってボランティア参加した。
担当は、震災で流されて、でも拾われ集められた「写真の洗浄」だった。

数千枚、数万枚の写真。
結婚式、卒業式、初孫、修学旅行、家族旅行、運動会。
みんなの節目の写真が多かった。

一枚一枚、洗面器に溜めた水で洗って泥をぬぐった。
写真の四角の四隅は、洗ってるウチに写真の画がはがれてしまった。
でも写真中央の人物像がはがれないように、気をつけて洗った。
写真が持ち主の手元に戻りますように戻りますように。

洗った写真は洗濯はさみで建物いっぱいに張られたロープに吊られ、乾かされた。
ソレこそ凄い数の写真が吊られた。
こんなにあったら、自分の写真は探せないんじゃないだろうか、
持ち主の手元に戻らないんじゃないかと思う程の圧巻な量だった。
でもその中で写真を探す行為は、自分の失われた過去を探すような行為で、
ソレこそ、「奇跡を待つような景色」だと思った。


そして写真洗浄ボラも終わって、名古屋で帰る電車の中で、被災者さんと
隣同士になった。
暗い話はツラいだろうと、出切るだけ笑える話を面白可笑しく話した。
でもそんな話をしても、話題は、当然、被災した時の話になった。

その人が被災当時いた、嫁いだ家は高台にあった。だから津波がきても
被害は無かった。
でも実家のお父さん、お母さんは海の近くの家にいて、流されてしまったらしい。
もし嫁がなかったら、そのまま実家にいて、自分も津波の被害に遭っていた。
「何で自分は生き残ってしまったのだろう」
そんな運命論者になったと言う。

私は名古屋でヒロシマの被爆者の語りの会を何度か主催している。
だからヒロシマの事も詳しい。
ヒロシマの原爆で生き残ってしまった人も同様、「何で自分は生き残って
しまったのだろう」と考えてしまった。
そして、生き残った「罪悪感」にかられてしまった。

フクシマの生き残った人達が、せめて罪悪感にかられないように、
生き残って良かった!自分は生き延びれたのだと、生きてて良かった!と
思えるとイイなと、小さく祈った。


名古屋に帰るバスは夜行。
放射能の被害はいまだ続く。全然終着はしていない。むしろ放射能被害で
病気になる人が増えている。
そういう人達がせめて、何か、「希望」みたいなモノを持てるとイイなと、
今は、思う。
そして「ごめんなさい」とも素直に思う。
私達がする事は、まずフクシマを忘れない事。フクシマを見捨てない事。
フクシマの情報を発信し続ける事。
フクシマに、意識を、留め、続ける事。
今は、そう、ソレしか、出来ない。
ソレしか、出来ない。
ソレしか、出来ない。




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