「1000日目のフクシマ」


311の3年後の2015年のゴールデンウィークはフクシマに行って来た。

ゴールデンウィーク中は東京では混んでいてレンタカーが借りれなくて、栃木で
レンタカー。
栃木まで電車で行って、その辺の人に話しかけると、
皆一様に「放射能怖い」と。
栃木でも北部は、福島に面してるもんな。放射能リアルにきてるもんな。怖いよなと。

栃木から福島に向かって走る。延々走る。
一泊車中泊して、早朝福島へ。

青い田んぼを抜け、大通りを走ると、畑の真ん中に、除染した土をいれる
『大きな黒い袋』が数個並び積んである。
あ、テレビで見たヤツだ。と思って、車を降りて写真を撮る。

その黒い恐怖は何個も連なっていて、ぼんやりとその姿を見ていると、先ほどから何度も
走り見ていたパトカーが私の車の前で止まって、私は職務質問される。
どこから来たか、何しに来たか、免許証の提示を。

何で警察が見守っているのか聞くと、
ココは既に『帰還困難区域だ』と。

あ、車で走ってるウチに、もう『そんな地域』に入り込んでいたんだ。と。
もうココ、「人住めないところ」なんだ。
うわ、とか思う。

警察は、人がいないからって泥棒がはいるからパトロールしてると。
先日も、東京から遠征してきて骨董品を盗んでる泥棒を検挙したと。

少し話す。警察官は名札に『熊本県警』と書いてあって、応援で来てると。
そんな遠くから。
福島県警だけには負担はかけられないと。
頑張ってください。と握手して別れる。

その後も何度もパトカーを見る。
パトロールって言いながら、何となく、マスコミとかジャーナリストとかに、
「余計な事調べるなよ」って言ってる感もあるよなぁ。とかちょっと思いながら、
帰還困難区域でも、北へ向かう大きな道路だけ一本開放されていて、そこを続けて
車で走る。

当たり前だけど、人気が無い。
人家が、窓ガラスが壊れたままそのままになってる。
コンビニが、商品が残ったまま棚が倒れてる。
携帯ショップが、書類とかテーブルに残ったまま放置されてる。

原発が爆発して、着のみきのまま逃げ出した様子が見て取れる。

そのまま道を走る。商店街へ続く道は封鎖されてて、ソコがゴーストタウンみたいな
雰囲気になっていて、恐怖を感じる。

『福島第一原発』と書かれた道路標示が出てきた。
大通りから施設へと右へ向かう道は封鎖されてて、でも巨大なクレーン車が遠く見える。
あそこが爆発したんだな・・・。

車は走る。
人家が密集されてる地域はバリケードされてて、ものものしい。
封鎖地域前に、警備員が立ってる箇所が何箇所もあり、放射線量、相当高いハズなのに、
あの警備員さんこんなトコロに長い時間いて大丈夫かな、とチラリ思う。

避難指示区域は何十分も続き、何か苦しい、その、圧迫されるような空気に、
正直、何かココもう怖い。早く抜けてくれ。怖い!
と祈るように念じていたら、車が沢山通る、『街』に到着した。

携帯の地図で『南相馬市』と確認して、ナビの通りに、道の駅に行く。
人が沢山いる。人の気配がする。ソレだけで、凄く安心する。

一息ついて、缶コーヒーを買う。
まだ夜まで時間もあったので、『津波』を思い出して、ナビを頼りに、海沿いまで
車を走らせる。

道の駅から車を走らせてすぐ、その区域には辿り着いた。
でも、津波で流された場所だとはすぐには気づかなかった。
だって、そこは普通に、田んぼみたく、『一面、緑の草で覆われていた』から。

やたら、広い何も無い場所が続くな、と思って、ようやく、あ、ココ、
津波で全部流された場所だと気づく。
4年前に震災直後にボランティアで入った時に見た、家の土台とかだけ残されて、
全部、全部、そう、人も車も家も建物も植物も、『命』が、全部、流された場所。
ソコが、全部、緑の草で覆われていた。

草が・・・草が・・・生えてる!!!!!

放射能浴びても草は生えるんだ!再生してるんだ!!
ソレは、ソレは何か『希望』を思わせる出来事だった。
気がつけば、私の中を、温かい『何か』が、広がっていった。

胸を熱くしたまま、しばらく風景を見ていると、散歩している50代位の男性が
いたので話しかけてみる。

「この辺りの方ですか?」
「ええ、あの家の者です」

草一面の中、新築の家がいくつも建っていた。
あ、ココはもう戻れる地域なんだ。後から気づいた。

「311の時、何をしていましたか?」続けて聞く。
「あ、山の方が職場だったので、大丈夫でした。運良く、家族も、親類も無事です」
「良かったですねえ!」
「震災直後は新潟の親類の家に非難していたんですけど、今は戻って来て」

失礼を承知で聞いてみる。
「家に戻って来れて、良かったですねえ!
でも福島に戻って来て・・・放射能・・・怖くないですか?」

男性は、少しビクっとした顔を見せ、でも、
「大丈夫ですよ。放射能なんて既に風評被害です。大丈夫。大丈夫ですよ」と。

大丈夫?
まだ放射能、全然大丈夫なハズないじゃん。証拠に、私、福島に入っただけで、既に
放射能に相当おびえてる。
マスコミでも、放射能はまだまだ全然ヤバイって言ってる。
原発自体、まだ放射を抑え切れなくて、放射能を撒き散らしてる。
大丈夫なハズないのに・・・。

もちろんそんな事は返せず、こちらが相当動揺しながら、でも少し話をする。
別れ際に「国に対して、何か思う事はありますか?」と聞くと、
「野菜や米を買い取って欲しいですね」と。

そうだよね。福島の米と野菜、放射能怖いから、全国レベルで誰も買わないもんね。
でも、ずっと作り続けないと、田んぼはダメになってしまうので、農家の皆さんは
作り続けてる。
ソレをしないと、何もする事が無くなってしまうし・・・。
何だか、男性に凄く申し訳無いキモチが溢れる。何か、すいません・・・。

握手をして、男性と別れる。
私の中に、もやっとした何かが、広がる。

車を走らせてコンビニに行く。そこは地元の人が沢山利用しているみたいだった。
コンビニから出てくる人に話しかける。

男性が出てきた。
「すいません。この辺の方ですか?」
「ええ。この辺も避難指示解除準備区域で、夜は帰らなきゃだけど、
昼間は家に戻っても良いので、今はいわき市の仮設住宅で住んでいるんですけど、
今日はちょっと荷物を取りに帰って来たんです」

少し雑談をして、さっきの疑問を、また、聞いてみる。
「いわき市でも、結構線量ありますよね。放射能・・・怖くないですか?」

男性は不自然なほどに、間髪要れずに答えた。
「いや、もう放射能なんて大丈夫ですよ。大丈夫。大丈夫ですよ。そんな。」

また大丈夫って言われた・・・大丈夫のハズないのに・・・。

コンビニ前で何人かに話しかける。
でも、みんながみんな「もう大丈夫」って、答える。
私の中の、大きなモヤモヤは、余計に大きくなっていった。


闇夜が近づいてきたので、道の駅まで戻る。今夜も車中泊だ。
道の駅の駐車場に、『福島復興』と書かれたステッカーを大量に貼ってある車を見つけ、
声をかける。
自分は神戸から、来れる時に福島にボランティアに来ていると。震災から4年経つのに、
まだボランティアセンターが機能しているんだ!その事実に驚く。
聞いてると、この人、311直後から、ボランティアに相当数来てるらしい。
有難い事です。
ボランティアセンターの場所を聞いて、再度、車中泊。


車の中で横になり、考える。
話しかけた人、みんながみんな「大丈夫」って答える。
大丈夫なハズ無いのに・・・。無理してる方が絶対苦しいのに・・・。

正直言えば、「大丈夫」の裏に、

「悲鳴」が聞こえる。

「助けて」って言ってる気がする。

でも私の直感なんて、あてにならない。
何なんだろう。一体、どういう事なんだろう・・・。

その日の夜、道の駅なのに、パトカーは何度もパトロールに来ていた。
私は、何だか胸がイガイガして、苦しくて苦しくて、朝方ようやく眠りについた。


朝から昨日聞いたボランティアセンターに行く。
ボランティアは連休中と言う事で100人を超える人数で溢れていた。
ボランティア名簿を見ると、全国から来ているけど、東京からの人数が多かった。
みんな遠いところ、わざわざ・・・しかも、震災から4年も経つのに・・・。
私は、人事ながら本当に嬉しくなった。

ボランティアセンターで状況を見たい旨伝え、ボランティア先を紹介してもらう。
一軒目は、樹木の伐採のボランティア。
震災直後は地震で壊れた家の整理とかが多かったけど、4年目の今は、放射能が
降り積もった木々の、伐採が多い。
放射能を浴びた葉っぱが、庭に落ちてきて、家の線量を上げてしまうので、
その樹木を伐採するのだ。
やっぱり、放射能怖いから、それをみんな頼むんだよな。
何でもう大丈夫なんて言うんだろう・・・。モヤモヤは、濃く、広がってゆく。


車のナビで行ったら、間違えて隣の家に行った。
そこは服の仕立てをやっている家だったようで、おじいさんが一人、店の中で
新聞を読んでいた。
話を聞くと、昼間は戻って来て良い地域だから、毎日家に戻って来ていると。
仮設住宅は狭いし、やっぱり実家が好きだと。
放射線高い地域なのに・・・。

しかも、来年には、ここは移住可能地域に戻ると。
え?線量相当高いけど、大丈夫なの?国、ちゃんと検査してる?
しかも、戻れる隣の町には、既に孫を連れた友達の家が戻って来ていると。

孫が帰りたい帰りたいと言うから避難先から戻って来たらしい。
今、その地域の学校では、本当に沢山の家族が戻って来ていて、1学年、数クラスが
既に成り立っていると言う。
また、その町に老年の人は本当に沢山の人が戻って来ていると言う。
みんな、とにかく元のコミュニティに戻りたいと。
何か、この地域の人は、本当にコミュニティを大事にしてる。
ソレは、もう私が想像つかない、くらい。

おじいさんは、ここは、ただもう、ただもう、故郷だから、と。

うん・・・そうか。そうだよね。私も名古屋出身で、いま東京で仕事してて、でも
やっぱり名古屋に帰りたいと時々思う。でも仕事もあるし、帰れない。
故郷は大事だ。故郷の繋がりもいまだ大事だ。
でも、ここは放射能の酷い福島。
国は、法を制してでも、帰らせちゃいけないんじゃないんだろうか・・・。


もちろんおじいさんにそんな事は言えなくて、お話を聞かせて頂いて
ありがとうございます。家間違えてすいませんと謝り、隣の家に。

ボランティアのみんなが樹木を切り倒していた。
ちょうど休憩になったので、ボランティアスタッフに話を聞く。

やっぱり皆『何かしなくちゃ』のキモチで来てると。
中には「正直、ボランティアに来る事で放射能を浴びて、私は女性で、まだ妊娠とか
あるかもだから、将来的に体は不安だけど、でも、来なきゃって思って」と
答えてくれる方もいて、私は胸が熱くなる。

でも、ふと気がついた。あれ?ここのボランティア、失礼だけど・・・老年の方が多い。
10年ほど前、日本では新潟でも地震があった。中越地震と言うヤツだ。
私はそこでもボランティアに行ったのだが、その時は20代のボランティアが多かった。
でもこのボランティア現場は、50代とかの人が多い?
何だ?何が違うんだ?
話していて気づく。

「もう自分は子育ても終わってるし、何か出来る訳でも無いけど、行くだけ
行ってみようと思って・・・何というか・・・社会に対する恩返しもあると言うか・・・」
「一言で言えば、社会貢献だね。年齢が年齢だし、死ぬのももう怖くないし」

そうか。若い世代は放射能が怖いから、ボランティアに来れないのもあるけど、
団塊の世代は『社会貢献』とか思うんだ。あと。単純に、元気があるんだな・・・。
実家の母親と、去年亡くなった父親を、少し、思った。


ボランティア先を3件ほど訪ねる。
ボランティアさんがみんな頑張っていて、私はその優しさに、誠実さに、また
ユーモアに、涙が出る。

ボランティア先を訪ねる合間に、また人に逢い、話を聞く。

311の瞬間、仕事で海にいて、ラジオをつけたら津波が来るからと聞いて、
焦ってみんなで逃げた男性。

311の瞬間、学校でワックスがけをしていて、机の下に逃げた学生。311直後は
食料とかが本当に足りなくて、給食はおにぎりが二個とかで、半日授業だったから
家でまたお昼を食べてたという学生。

311の瞬間、ラジオで津波の報道を聞いて、逃げた同じ職場の人。逃げた人は助かって
、 逃げなかった人は死んだと言う女性。

そして、311の瞬間、津波から車で逃げて、後ろの車が波に飲まれて、自分は本当に
間一髪、生き残って、でもその光景が忘れられないと言う男性。

また、津波で飲み込まれてゆく全てを見てしまって、いまでも、『海が怖い』と言う
おばあさん。

私は、話を聞かせて頂く度に苦しくなる。本当に皆さん、絶望を超えて来たのだ。
でも、正直言えば、皆さん、なかなかクチを開いてくれない。
もう「よそ者のには何も言わない」という雰囲気もあるし、
「もう放射能って言葉自体、お互いに話さないようにしてる」し、
何より「もう何も無かったように、毎日を過ごしてる」感じがする。
あくまで私の、肌感覚だけど。

そして、何でみんな「大丈夫。大丈夫」と言うのか。
その時、私はようやくわかった。
みんなもう『311を、忘れよう』としているのだ。
記憶が辛過ぎて、現実も辛過ぎて、だから、もう全て、忘れようと。
何も無かったようにしようと。

気がつけば、私は震える両手を、握り締めていた。
そんな事、そんな事、苦し過ぎる。でも、確かに、何か辛い事、それは忘れるのが
一番の癒し。
でも、現実として、現実として、放射能は、フクシマは、終わっていない・・・!!!

除染したとしても、福島第一原発がいくら収まったとマスコミは言うけど
(絶対本当じゃないと思うけど)としても、土地には、空気には、
まだまだ放射能が残っている。
しこりが出来る子供も増えている。体調を崩す人も増えている。

例えば、「ガスライト」と言う、土地に撒けば、放射能が付着する物質が開発されている。
そういうモノが既にあるのならば、何故、政府はソレを福島全体に撒かないのか。
そして、本当は、福島一体を、丸ごとどこかの県に移住させてしまうのが一番良い。
その地域の活性化にもなるし、コミュニティも壊れない。もうこの地域に戻る事も無い。
第一、 もう福島に人を暮らさせては、本当に良くない。ただ、人が死ぬだけだ。

考えれば考えるほど苦しくて、私は、吐きそうになるのをおさえる。

最後に話しかけたのは、元家のあった場所の草一面の土地の前で、ただ、土地を
眺めていた青年。
彼も、311後、鼻血が出たと言っていた。
彼も苦しんでいた。彼も「大丈夫」と言った。
でも、既に『無言のSOS』にしか聞こえなかった。
私は『私も何かするから。フクシマを、忘れないから』としか言えなかった。
でも、それは『誓い』でもあった。

福島の皆さんは、『フクシマを忘れないで』と言うと聞いた。
本当にそうだと思う。フクシマは終わっていない。放射能は終わっていない。
核は、終わっていない。
みんな、みんな、いまだ苦しんでる。
最早、ウランだって、原発なんかに、なりたくなかったと、思うんだ。

とにかく目の前の私がするのは『フクシマを伝え続ける事』だけ。
4年前にボランティアに来た時と、全く、同じ結論しか出ない自分が情けない。
でも、ソレをするのだ。悩みながら、苦しみながら、ソレをするのだ。

普通の営みには壊された。
涙も、想いも、祈りも、押し黙ったまま。

でも、私が出来る事。あなたが出来る事。
ソレは一体、何ですか?



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