2004バーニングマン:またね☆



砂漠で突然手持ち無沙汰に。

ヒマだしボランティアでもしようと、インフォメーションセンターへ。
大きな壁一面いっぱいの張り紙。解体ボランティアや清掃ボランティアなどを募集中。
1番馴染みのある、センターキャンプの飲料水販売ボランティアに。

販売窓口に配置。お金を受け取って、飲み物を作って渡す。
ホットコーヒーにアイスコーヒー。チャイにレモネード。
難しい作業では無いけどお客さんは全然途切れなくて、マジでスッゲエ忙しい。

「サンキュー!」って何百回も言う。
でもそのウチに、確かにココはアメリカで英語の国だ。けど日本人の私が本当にココロを込めて
感謝するなら、やっぱり「ありがとう」だ。そう想って、途中からそう言うようにした。

すると3分の1は「サンキュー」って普通に英語で返してくれて、
3分の1は「ありがとう」ってカタコトの日本語で返してくれて、
3分の1は何故か「ナマステー」ってインドの公用語のヒンディー語で返してくれた。
結構笑えた。
夜は難民キャンプみたいなトコロにお世話になった。世界中の国旗が掲げられてた。


マン開催期間は一応終わったハズなのに、まだまだ全然ヒトは大勢残ってた。
あっちこっちでパフォーマンスをやってるし、アートカーが火を吹いて走ってる。
オブジェは音を奏でるし、ダンスは終わらなかった。
そのまま2、3日会場でブラブラしてた。

でもやっぱり荷物は見つからなかった。旅もマンも楽しい。だけど1年以上も日本を離れてて、
正直そろそろ帰りたかった。またヒッチハイクで会場を後に。


そのままアート活動を行う若者のサポートをするおっさんの家に宿泊。
数人で巨大なガレージを借りて創作活動(主に鉄関係)を行うグループにもお世話に。

何日もかけて、紹介で何台も何台も車を乗り継いで、沢山のヒトに助けてもらって、
サンフランシスコにある日本領事館までようやく到着。

いくらかの手数料でパスポートを再発行。航空券もムリヤリなんとかして。
海外旅の割には不自然な荷物の少なさでやっとこさ帰国。


そんな風に、バーニングマンはバーニングマンが終わっても、イロイロ盛りだくさんで。
全然バーニングマンだった。

バーニングマンは始まる前からバーニングマンで、終わった後もやっぱりバーニングマンで。
ずっとずっと、バーニングマンだった。

筋金入りのバーマー(マン大好きっ子の名称)は、1年の半分を前回の思い出で生きて、
1年の半分を次回の期待で生きるって言う。
呆れるような話だけど、でもちょっとイイなぁって思う。



帰国一ヵ月後、マンでロストしたバックパックがクロネコヤマト国際便で届いた。
最後にヒッチした人と連絡がついたんだ。

荷物の隙間から、砂漠の砂がサラサラサラサラこぼれた。
いっぱいいっぱいこぼれた。
家にいるのに、まだ砂漠にいるみたいだった。

もう帰国したのに。あれから一ヶ月も経つのに。
バーニングマンは、まだまだ続くらしい。




BACK
TOP