カンボジア「地雷と戦争と平和で死にそうになる」


カンボジアには大学時代に行った。

「カンボジアに行ってくる」と言うとみんながクチ口に「地雷撤去のボランティアに行くの?」と言った。
それくらい、その時期は、カンボジア=地雷のイメージがあったのだ。

まだ内乱が終わってすぐの時だったから、タイからカンボジアへの国境越えルートの道路が、
爆弾で所々巨大な穴が空いていて、道路に穴が空いてる毎に、乗ってたバスを降りたりして国境を越えた。

「道路が爆撃を受けている」。その事実に「戦争」を身近に思って、少し怖いなと。じんわり冷や汗を感じながらも。


そして到着アンコールワット!
アンコールワットとは、カンボジア北西部に位置するユネスコの世界遺産であるアンコール遺跡の1つであり、
その遺跡群を代表するヒンドゥー教寺院建築!
アンコールワットに朝日が臨むのを見るために早朝に宿を出る。
マジ、普通に鳥肌がたった。さすが世界遺産だけあるね!
普通に建造物を登ってみる。
世界遺産なのに登れちゃうのが凄いな!

アンコールトムにも行ってみる!
庶民の生活や貴族の暮らしが描かれたレリーフが有名。
こちらも普通にほわーと眺めちゃう、バカでかい、その凄さ!
せっかく凄いのに、地雷と言う負のものがあるだけでダイブ切なくなる。

そう、昔、内乱があった時、時限爆弾は1個3ドル(300円)で安く作れる上に、一番殺傷能力が高くて、
被害を与えやすいと言う事で、たくさん作られ、戦争の最前線だけではなく、人々が集まる広場とかにも
多く埋められたと言う。

そして、内乱が終わった今も、その地雷は埋められたままで、いまだに地雷の被害に遭う人が後をたたないと言う。

だから、地雷撤去のボランティアが各国からやってくるのだ。

酷いよなあ!普通に酷い!


そうなのだ。私がうかうか旅をしてる間にも、いつも世界のどこかで人が殺されてる。

「○○制圧で800人死亡」のインターネットニュースを読んだ。
良くわかんねーけどソレ・・・何かおかしくねえ?人、死に過ぎじゃねえ?
そんなに死ぬ必要なくねえ?そんな制圧っておかしくねえ?
“800人”って全然リアリティ無いけど、ええと・・・そういや私の通ってた
小学校は全校生徒で、そう“800人”とかだったよ。
そいつら全員死ぬ位ってコト?は?全員?全員死ぬ?そ・・・そんなんなったら
来年の運動会とかハゼ釣り大会とかどうすんだよ!やれねえじゃん!

というか・・・前アメリカがやってた戦争こそアレでしょ?石油の取り合いとか、
何かの利益の為にやってたんでしょ?
小っちぇえ子供がピカチューのぬいぐるみとかのオモチャの取り合いしてるのの、
”やり過ぎ版”でしょ?あと銃とか兵器とかを作る会社が儲ける為にやらせてたんでしょ?
超くだらねえじゃん!何でそんなコトの為にガンガン人が死んでんだよ!死ぬ必要無えじゃん!
全然意味わかんねえ!

そんで・・・アレでしょ?戦争でリアルに死んでるのって、戦闘と実質的に関わって無い
安宿のおっちゃんとか、定食屋のオバちゃんとか、あとたくさんの子供とか、なんでしょ?
しかも前線とかでもなく自分の街で。
戦争してる国ってだけで、セブンイレブンでつるるん杏仁豆腐買ってたらいきなり
爆撃されたりするようなモンなんでしょ?
マジ意味わかんねえ!何で普通に暮らしてるだけなのに、理不尽に殺されなきゃいかんのか?
つーか杏仁豆腐喰わせろっての!!

ソレに、お父さんやお爺ちゃんは年齢的にもう無理だけど、自分と同じ年位の男友達は多分、
戦場に行かされるだろう。
私の男友達は・・・不器用だったり、過剰にバカだったり、狂気丸出しなヤツもいるけど、
とにかくみんな人の痛みに敏感な、優しいヤツばっかりだよ。
アイツらは目の前に敵が現われたって、銃なんてきっと撃たないよ。撃てないよ。
ヘタすりゃ私が竹ヤリ持った方が早えーよ!
ソレ以前に、あいつらが人を殺すのとか、ひょっとして殺されたりするのとか、考えたりするのも・・・イヤだ。

ソレに、私はこの旅でたくさんの国の人達と知り合ったよ。もちろん中にはムカつくヤツもいたけど、
大体においてイイヤツだったよ。
そいつらと殺しあわなきゃいけないとか憎しみ合わなきゃいけないとかは・・・普通に出来ないよ。
普通にムリだよ。むしろ出来ればもう一度顔を合わせて、笑いあいたいよ。


”世界平和”なんて話は、何だか嘘臭くて気持ち悪い。
石油の利権争いとか、戦争会社の存在とか、または戦争孤児だとかの問題は、難し過ぎて良くわからない。

だから単純に、自分のラブリーや、自分の家族や、自分の友達が、殺し合いに巻き込まれて死んだりして
”いなくなる”のが本当に”イヤだから”というとっても個人的な理由で、

戦争反対。



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