インド:2「ボランティアに参加させてもらって死にそうになる」



旅の最中、あまりに沢山の人達に助けてもらって、
お返しも何も出来なくて、歯がゆくて、ただ感謝するしか出来なくて。


でもインドに入って知り合った旅人の紹介でインドでの貧民街で一ヶ月と一週間、
ボランティアを手伝わせて頂く事になった。
これで少しは何か人のためになる事が出来る!

(ちなみにこのボランティアをきっかけに、帰国後は新潟震災や東日本大震災を
テレビで見て「何かしなきゃ」との想いから、現場ボランティアに賛歌したり、
平和イベントや平和ライブを主催したり、ゴミ拾い活動を始めたり、
旅前は考えられないほど、平和活動に没頭する事になる。

それはやっぱり世界中の人と溢れんばかりの優しい触れ合いをしたからだ。
特に駅で地図を広げて迷ってる外国人には絶対声をかける。
それは世界中の私の姿だったから)


そのボランティア施設は、学校や病院などの施設が、ヨーロッパの某団体から
援助を受けて建てられてる街だった。
ソコに住む「みんなの寄り添いあってる感」がとっても美しかった。
またそのボランティア先ではスタッフで平和会議をする事もあって。
本気で平和に向かい合って活動していて。
そんな平和を本気で祈ってる人達が「本当に沢山いる」事に私は相当に感動した。

ソコでまず、施設で働く人達と子供達のための、昼食作りのボランティアをやった。
毎日たまねぎを数十個切る。このままでは、たまねぎ切り大会が
あったらチャンピオンになってしまうんじゃないかと思う位、
たまねぎを切るが早くなった。(そんな大会は無いから)

一緒に働くスタッフ達とは歌を歌いながら作ったりした。
ヒンドゥー語なんて一言もわからなかったけど、いつも楽しく仕事が出来た。
ボランティア最終日には、号泣でみんなとハグした。
仲間だった。

お別れのプレゼントに、みんなに花の刺繍をしたハンカチをギフトしたら、平和の象徴、鳩の置物を
くれたスタッフがいた。私、まだ旅の途中で、コレ超荷物になるんだけど、わかってるのかな?
とかチラリ思ったりしたけど(すいません)その心が嬉しかった。


昼食ボランティアも慣れてきた頃には、保母さんも担当する事になった。
保母さんでは、毎朝チビちゃん達に大きなハグをした。
クラスでは童謡を歌ったり、踊りを踊ったり、一緒に昼食やおやつを
食べたりした。

あまり親に愛されていないなと思う子には、思いっきり、強く、長く、
ハグをした。でも強くハグをし過ぎて、泣かれたりした。

でも授業内でチビ達のわんぱくを抑え切れなくて、コントロールし切れなくて、
ソレに自信喪失して、保母さんは数日でおろさせてもらった。
また昼食作りに戻った。

でも道や市場で、担当したチビ達に逢うと、ちょっとしか
関わってないのに「せんせー!」とか声をかけてくれて、覚えていてくれて、手をふってくれたり、
駆け寄ってくれたりして、凄く凄く嬉しかった。やって良かったと思った。

昼食作りの仲間と、チビ達と、「恵まれない子達に私が愛を与えるんだ!」と
思って参加したボランティアだったけど、結局は、優しいみんなに、
「愛を、優しさを、もらってばっかり」だった。


そんな風にボランティアをして、チカラ不足にヘコんだり、また能力の無さにダイブ、
ヘコんだりしたけど、こんなに自分を鍛えてくれたり、伸ばしてくれるモノは
無いと思った。何で今までボランティアしなかったんだろうと思った。

もし今後、ボランティアとか人のためとか、そういう機会があったら、
是非皆さんも飛び込んでみてください。きっと、凄く新しい自分に出逢えるから!


そして・・・ここでボランティアをやって、それで、もう素直に、
「もう帰国しよう」
素直に、素直に、そう思えた。

長旅人は、どこで帰国のラインをひくのか、みんな悩むと言う。
でも私はここでボランティア出来て、旅のゴールがボランティアなら、
何だか素直に、もういいんじゃない?って思えた。
だから、さあ帰ろう。家族や、友達が待つ日本へ。

全てに、ありがとう。ありがとうね。もう、それだけしか、思う事は無い。
良い旅だった。本当に恵まれた旅だった。
ありがとう。その想いをいっぱいバックパックに詰めて、私は帰国の路をとった。



BACK
TOP