新潟県中越地震ボランティア:帰る


結局、結局・・・私は一週間しかボランティア活動しなかったし、
自分に何が出来たのかわからない。
ボラ自体は自分なりには頑張った。
でももっともっと何か出来たハズって申し訳無くなる。

ごめんなさいって少し想う。


でも行かなきゃ良かったなんて思わないよ。
だって行かなきゃ見えなかったモノが沢山ある。

だからこそ、本当に本当に行って良かったって想うよ。
本当に本当に本当に行って良かったって想うよ。

ソレに、実際にこの町を見たからこそ、
ずっとずっとこの町のコトを気にかけるよ。
ずっとずっとココロにとどめておけるよ。
ソレが、大事なコトだと思うんだ。

そしてあの町から戻ってからこそ、
あの町の町で見たモノをみんなに伝えるコト。
あの町の町で感じたコトをみんなに伝えるコト。
ソレが、出来ると思うんだ。



この町の人達は、みんなみんなどうにかしよう、元通りの暮らしに戻ろう、
自分達の町を取り戻そう、って頑張ってたよ。

もちろんグチも弱音も不安も吐くよ。

でも笑おうってしてたよ。
幸せになろうってしてたよ。


この町に入る手前の町で、市役所の災害対策本部のスタッフと知り合った。
床にひいた寝袋に潜り込んだまま、一緒にテレビのニュースを見ていたんだ。
最も被害が酷くて全戸避難してる「山古志村」の戦前から戦後にかけての話なんだけど。

大雪が降ると外部への道がすべて閉じてしまうこの村。
孤立する村を守る為に、隣村へ通じる877メートルものトンネルを村民自らが
「ツルハシで掘って」「16年かけて」完成させたらしいんだ。
そしてそのトンネルは、村を壊滅的に崩壊させたこの地震でも、壊れずに健在してる!
って言うんだ!

!!!!!!マジで!?

機械とか一切使わずトンネル開通させたの?昔の人、凄過ぎじゃん!つかそーゆー問題
じゃなくて、そう!何年もかけて自分達で掘ったトンネルが地震でも壊れなかったなんて、
ソレ凄え勇気づけられる話じゃん!凄え励みになる話じゃん!
正に、正に「希望のトンネル」じゃん!


そう・・・この人達は元々、私達が想像も出来ない位の豪雪地帯に
ずっとずっと頑張って住んでた人達なんだ。
2階の窓から出入りしなきゃいけない位雪の降るトコで、頑張って生きてきた人達なんだ。
そんなトンネルとか、掘っちゃう人達なんだ。

私達みたいな都会生まれのもやしっ子とは、違う。

強い。

強いよ。


だから、凄く凄く無責任な発言かもだけど、
きっときっと、私達の想像以上に、復興は早いんじゃ無いか?なんて、思う。
きっときっと、私達の想像以上に、本当に笑顔になる日は近いんじゃ無いか?
なんて、思う。

というか、そう、願うよ。

そう、願うよ。


もちろん、この町は住居が疎らにしか点在しない上に、高齢者が多い地域な
だけに、復興は凄く凄く遅くなるんじゃ無いか。なんて意見も、ある。

でも、でもね、
大丈夫だよ。

強くて優しいこの町の人達のコトだもん。
きっときっと、大丈夫だよ。


ただ、ただね、強いって言ったって、ほっておいちゃ、いけないんだ。
支えなきゃ、いけないんだ。

一旦落ち着きを見せたコレからが、本当の始まりなんだ。

地震のショックによるココロの傷のケアをしなきゃいけないんだ。

支えなきゃ、いけないんだ。



とにかく今はただ、被災地のみんなが本当に本当にココロから嬉しく
思える日々が一刻も早く来るよう、祈る。
生きている。ただソレだけでもう人生は素晴らしいのだ。と、
本当に本当にココロから思える日々が一刻も早く来るよう、祈る。
とりあえずはソレだけしか、出来ない。



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