前橋ライブレポ(2006)


だから、そう、その場所にはもう笑顔ばっかりしか、なかったんだよ?


「ONSENS」のボーカル「AKIRAさん」のサイトは、旅の途中にブラジルで
出逢った長旅人トシさんから聞いた。

バカバカしい中にも、すげー大事なコトを言っていて、旅し過ぎて人として大事な何かを
忘れそうになっていた私は、その何かを守る為、1年以上の長旅の間ずっと、ネット
カフェで彼のサイト日記を読み続けた。


そして帰国。季節は秋だった。スグにAKIRAさんとタケちゃんの家に遊びに行った。
実際の2人は想像以上にステキな人達で、いっぺんに好きになった。
その後サイトで、一ヵ月後に「ONSENS」が渋谷でデビューライブするって知った。
まだ2人とそんな親しくもなかったけど、初対面の人の家にも平気で居候するバック
パッカー特有のずうずうしさで、ボランティアスタッフに立候補してみた。

当日は、光がこぼれ、鳥が歌い、虹の花の咲く、本当に素晴らしいライブとなった。また
ポケットに虹を詰め込んだステキなスタッフや、笑うと周りに花が咲くステキなお客さん
との沢山の出逢いもあり、そんな人達を集めてしまうONSENSにすっかり魅了され、
その後のライブに、うっかりほとんど参加するコトとなる。


次のライブは年明け春。群馬県前橋市のお寺だった。今回は普通にお客さんとして行った
んだけど、勝手にチケットもぎりしたり、機材の搬出をしたりした。もちろん打ち上げ
にも参加した。だってメンバーはもちろん、相変わらずスタッフとお客さんが驚く程
ステキな人達ばっかりで、だから私はその空間にただ混じって、いたかったんだ。

次は梅雨の東京青山&江古田の2DAYS。仕事の都合で1日しか行けなかったけど、
前と同じように勝手に手伝いして打ち上げにも参加した。そんなコトをしてるウチに、
いつの間にかライブを通じた顔見知りが増えて、いた。

そして総勢30人から成る夏の北海道札幌&アイヌモシリ(アイヌの聖地でのお祭り)
ライブツアー。
AKIRAさんタケちゃん2人の「ONSENS」はいつしか、ベースにリュウ、
パーカッションリズム隊にヤオさん&リエちゃんを加え、5人編成のバンドへと怒涛の
変化を、していた。

私は相変わらず仕事でこのツアーにも数日しか参加出来なかったけど、家族旅行と
林間学校を足したような、とっても楽しい忘れ難い旅だった。良い友達が沢山、出来た。


続いて秋の高知県高知市&ヘンプ・ザ・ギャザリング(フェスイベント)ライブツアー。
直前に仕事を退職してフリーの立場になっていたので、ヒマ丸出しで全日程参加した。

私はこの土地で「発狂」して、しまったのだ。発狂真っ最中の私は、夢の中にいるようで、
全てが全てが、さっぱり訳がわからなくなってた。混乱していた。でも、沢山の人に迷惑
かけたのは、事実で。本当にごめんなさい。でも、良い旅だった。みんな、ありがとう。

全国ツアー状態になったONSENSの勢いは、群馬県高崎市ライブへと続く。
気がつけば、ONSENSがらみの友達と一緒にいる時が、1番リラックス出来て、1番
自分らしい自分でいられる私になっていた。ONSENSなしの生活はもう、考えられ
なくなっていた。

そして勢い余って、友達と共同主催した地元名古屋2DAYSライブ。
北海道、本州(新潟、群馬、東京、神戸等)、四国、九州、沖縄と、日本の全ての地域から
お客さん達が来てくれた。

とってもとっても美しいライブとなった。みんなが喜んでくれた。本当に嬉しかった。
でも何より嬉かったのは「自分の土地に」ONSENS友達が沢山出来たコト、だった。
その後は、何をするでもほとんどそいつらとツルむ日々となった。

再度年明け、春直前の東京江古田&横浜2DAYSライブ。
その前後は、個人的に月単位の旅をしていた。でも、何気にその旅日程は、ONSENSの
ライブスケジュールに合わせて組んでいた。
だってライブはいつしか、自分にとって参加するのが「当然のモノ」になって、いたから。
またメンバーや全国のONSENS友達との、「再会の場」にも、なって、いたから。


そう言えばONSENSと一緒に全国を旅をする中で、私は本当に沢山の人達に出逢った。
人ん家を転々と居候し続けながら絵を描いてるヤツ。タイコを学ぶ目的だけにアフリカ旅
するヤツ。移動手段はヒッチハイクが基本なディジュリドゥ吹きなヤツ。
「そんな生き方も<アリ>なのか!」と、私の平坦な価値観を根底からビビらせてくれた。

しかもそいつらはアートを通じて、人を癒したり、世界の平和を願ったりしていた。また
ONSENSのアーティスティックな部分に触れる機会もさすがに多く、いつしか私も、
そんな風に「自分を表現」しながら生きてゆきたいと願うようになって、いた。


私は雑誌編集者をやっていた。文章を書くのは、好きだった。誰かが私の文章を読んで
笑ってくれたり、元気になったりしてくれると、嬉しかった。だから「創作」の手始め
として、長旅の間に書いていた旅紀行を完成させよう、旅の本を出版しようと、思った。

でもその春から夏にかけて、私の人生は下り坂になるコトが、何故か自分でわかっていた。
ただ、夏から秋にかけて、人生は再度上り坂になるコトも、何故か自分でわかっていた。

そんな状況ならば元いた場所で鬱々と過ごすよりも、外に出て刺激を受けた方がイイな。
旅をしながら文章を書き貯めよう、なんて思った。
でも普通にお金もないし、夏の終わりには例年行事になってる海外の砂漠のお祭りに行く
予定もあって、その費用も必要だし。だから「リゾバ」と呼ばれる、旅館やホテルや
山小屋を、短期契約で働く仕事を選んだ。日本各地を転々とした。

サービス業な半年間は、日祝日には当然休みが取れず、ライブに全く行けなかった。
すげー残念だった。みんなに逢いたかった。



そんなリゾバ仕事も終わり、また旅からも帰り、先日の群馬県前橋市ライブ。
ONSENSフルメンバーではなく、AKIRAさんのソロライブだった。ソレでも
良かった。ONSENSの空気に、触れたかった。

ライブは、小さな間接照明だけの穏やかな闇の中、みんなのココロに小さな光がともる
ような、そんな、とってもとっても美しいモノと、なったんだ。


「きみの居場所」で相変わらずの圧倒的な優しさに包まれる。
「大丈夫マイフレンド」で絶対的な肯定と励ましを浴びる。
流れる涙と鼻水は、もう、服の裾で拭うのもやめてしまった。そのままに、しておいた。

「HELLO MY MAM!」では、母親に感謝を捧げた。ライブで何度も何度も
聴いたこの曲だけど、実は母親のコトを想い浮かべたコト自体が、初めてだった。
家族とは長い間、離れて暮らしてる。ヒドイ話なのだが、うっとおしく想うから、
疎ましく想うから、離れてる。でも「いつか家族にも、ONSENSを生で聴かせて
あげたいな」なんて考え始めてもいて、そんな自分に少し、驚きも、した。

そしてONSENSの音楽所属ジャンルは「トランスパーソナル」である、って言葉の
意味を、今更ながらにようやく理解、する。
ONSENSの曲は「その時」、「その人」に「必要な曲」が「響く」んだ。
聴く人によって、心をふるわせる曲は違う。でも同じ人でも聴く時期によって、
心をふるわせる曲は違うんだ。

曲に、慰められるんだ。励まされるんだ。揺さぶられるんだ。気づかされるんだ。
未来に向かって歩き出すチカラを、もらうんだ。
ソレはちょっとだけ、「愛」なんて行為と、似ているんだ。
ソレがおそらく「トランスパーソナル」ケアなんてモノだと、思うんだ。


心が、不思議な高揚をしてるウチにライブは「存在の歌」に続いて、ゆく。
その歌は、大事な人がいなくなってしまって、なんて歌なんだけど、聴きようによっては、
「失われてしまった自分の何か」に対するレクイエムにも、聴こえる。

でもその歌が、私にとって大きな「分岐点」になってしまうなんて、曲が始まった時には、
思いもよらなかったの、だけど。
そう、サビの部分でAKIRAさんが張り裂けんばかりの声を上げたその刹那、

「何か」が、「はじけた音」を、私は確かに、聞いたんだ。


ソレはきっと最近自分で「今はターニングポイントなんだ」って言ってたAKIRAさん
の「何か」が、はじけたんだ、なんて思った。だってその直後から歌声が、上手くは
言えないんだけど何だか全く、変わってしまったから。

AKIRAさんの「何か」が「今」、変化したんだ。その瞬間に、私達は偶然にも
立ち会ったんだ、って思ったんだ。
うん、でもね。

違ったんだ。
違ったんだよ。

急に私自身の奥底から「想い」のような何かが、沸き上がって来たんだ。
ソレは、「書ける!」って言う「確信のような何か」、だった。



そう旅の間、私は文章を書き続けたんだ。おかげで、予定分量は随分と進んだ。
また帰国後、名古屋から山梨に住まいを移した。山篭りして残りを書こうとしたんだ。
でも引っ越してスグ、体調を悪くして二週間寝込んだ。その後一週間かけて必死に頭を
「文章を書くテンション」に戻そうとしているんだけど、全然、上手くいかなくて。
何故だかホントに書けなくなっちゃって。

正直、ダイブ焦っていた。

だからAKIRAさんの声が降り注ぐ間、厳密に言えばさっき「BRAVE HEART」を
歌ってた間中、私は密かに「願掛け」をしていたんだ。

神様。私は、私は、文章を、書きたいのです。旅の文章を、書きたいのです。
でも今は、書けないのです。
自分でも頑張ったのです。でも、何故か書けなくなってしまったのです。
だから、もう一度執筆する自分に戻る「スイッチ」をどうか、ください。
執筆する勇気を携える自分になる「スイッチ」をどうか、どうか、ください。と。

創作する力。ソレは自分でどうにかするモノだ。他の誰かや何かに委ねるモノじゃない。
そんなのはわかってる。でもその時の私はもう本当にどうしようもなくなってたんだ。
だから、祈ったんだ。
そして創作と勇気も多分本当はあんまり関係ない。でもその時の私はもう本当に
どうしようもなくなってたんだ。だから、祈ったんだ。

瞼を強く強く閉じたまま、教会でマリア像にひざまずくような想いで、祈ったんだ。
「BRAVE HEART」。勇気をテーマとする、その歌で。


ただAKIRAさんの歌に「願掛け」するなんて、おかしなコトに思えるかも知れない。
でも私は知ってる。この人の歌は、何故だか本当にみんなの「スイッチ」の役割を果たし
てしまうコトを。
そんな沢山の人達を、この目で本当にいっぱいいっぱい、見てきたんだ。

10年ひきこもってるのに、すげー頑張って頑張って名古屋ライブに来ちゃう横浜のヤツ。
リスカの腕の傷が人に見られたくなくて今まで長袖しか着れなかったのに、
ライブスタッフに関わる一連の流れの中でソレが吹っ切れた高知のヤツ。
自殺未遂のエキスパートなのに、ライブ旅を通じて沢山の人に出逢う中で、再度
「生きよう」と強く決意が出来た宮崎のヤツ。

おそらくその全ては本当の意味で「AKIRAさんやONSENSの力」ではないだろう。
「本人達」があがいて、あがいて、頑張って前を向こうと苦しんだその先に、たまたま
ライブがあって、沢山の人と関わって、自分と向きあって。ソレら全てを通り抜けて、
そうしてようやく、なりたかった自分に、少しだけ、近づいたんだろう。

でも、ライブなんつう、そういう「きっかけ」を作り出してくれたのは、やっぱり
「AKIRAさん」であって「ONSENS」であって。


そう。コレは本人達には絶対に秘密だけど、私はONSENSのコトを密かに「魔法使い」
だと、思ってるんだ。もちろん本人達は無自覚の魔法使いだ。
魔法使いにも攻撃とか治療とかの得意分野があるけど、彼らの場合は「人を出逢わせる」
コトを得意とする、魔法使いだ。

私達はネットでサイトを見る。実際のライブに行きたくなる。閉じてしまった自分の狭い
コミュニティを飛び出す。そして、ライブを通じて沢山の人に、出逢う。

ライブは実際、素晴らしい。でもONSENSの全ての中で本当の意味で1番重要なのは、
「人と出逢うコト」なんだ。


今まで関わるコトもなかったような人と出逢い、話を聞いて、自分の中身が少し広がる。
強烈に凄い人と出逢って、自分の小ささを思い知らされる。泣きたくなる。
みんなの前でヘマをする。逃げ出したくなる。死にたくなる。
でも誰かに今まで知らなかったステキな自分を見つけてもらって、今までより少しだけ
自分を好きになる。
自分の新しい何かに自分自身で気づいたりして、また少し前を向けるようになる。
とってもとってもステキな人と出会って、自分もああなりたいと、夢みたり、する。

他者と話しをするコトは、自分ともう一度お話するコトなんだ。
他者と出逢うコトは、新しい自分と出逢うコトなんだ。

そんな風にライブを「スイッチ」にして、本来の自分を取り戻して新しく歩き出す人達を
本当に本当に沢山見たんだ。本当に本当に沢山見たんだ。

その様子はまるでONSENSが「奇跡」を起こし続けながら、ライブを、旅を、
してるみたい、だった。

いつからか、ああ私は「ミラクル」を見せてもらっているんだな、と強く感謝するように
すら、なっていたんだ。

そんな風な日々だったから、AKIRAさんの歌に私が「今の私にスイッチを!」と願う
コトは、とっても、自然なコトだったんだ。

そして、この曲が私の中で実際に、「スイッチ」になって、しまったんだ。



ああ、私はもう書ける。書ける。書けるよ。コレでもう、書けるよ。
そんな想いが猛烈な勢いで私の全部を、支配する。

そう。「何かがはじけた」気がしたのは、私の方だったんだ。

ONSENSと一緒に旅をした1年間、本当に沢山のコトがあった。
まず関わる人がみんなあまりにも優しかった。その優しさに触れているウチに、何故か
私も優しい人になっていった。またひるがえって、昔誰かに、不愉快な想いをさせたコト、
傷つけたコト、迷惑をかけたコト、全部を思い返して、猛烈に反省したりした。
でもソレらの痛みを知ったその分だけ私は、優しくなった(あくまで自分比)。

そして1人で旅をしたこの半年間は、本当に本当に沢山のコトがあった。
宿泊業務はあまりにもキツかった。不規則で拘束時間も長く、また人間関係で異常に
苦しめられた。あんまりツラくて、いっぱい、泣いた。いっぱいいっぱい、泣いた。
でもソレを乗り越えたその分だけ私は、強くなった(くどいけど、あくまで自分比)。

そんな風に、自分でもわかる位、精神が猛烈な勢いで成長していった。
だけど、肉体が、全然ついてきて、なかった。その肉体が、一気に、追いついたのだ。
AKIRAさんの宙を切り裂くような叫び声が、何故か、私の精神と肉体を、強烈な
衝撃をもって、ヒトツにしたのだ。

ソレは一般常識では非現実的なコトかも知れない。でも私の内部では現実におこったコトで、
そしてとっても、リアルなコト、なんだ。

そうして、私は、変わってしまった。
まるで、生まれ変わってしまったかの、ように。

だって、さっきと比べてAKIRAさんの歌が全然違って聞こえる。細胞の隅々にまで
しゅるしゅる染み渡るようにように私に届く。そう耳さえも、変化してしまったのだ。


実際ライブ後には、執筆を再開する。猛烈な勢いで。まるで今までの遅れを、取り戻す
ように。また、上手くは言えないけど、世界に対する皮膚感覚も、今までより鋭くなった。
更には日常の美しさに気づき感謝する視点も、増えた。
やっぱり私のすべては、変わってしまった。

「願かけ」していた、「もう1度書き始める為のスイッチを手に入れるコト」。ソレは
現実となった。でも一緒に、「私の全てが変わる」なんてコトがおこるなんてのは想像も、
しなかったんだけど。


そして輪廻をテーマにする「Reincarnation」に繋がる。
前回の前橋ライブから1年半。
あの時ラストだった曲が、今、流れてる。同じ土地で流れてる。

「一巡した」んだ。
そんな想いが静かに、溢れる。

円を、ぐるり廻ったのだ。ココで始まったすべてが、もう一度ココに辿り着いたのだ。
ソレは例えば、巡る季節のようなモノ、なのだ。
春に咲いた花が、夏にしぼみ、秋に再度種を撒き、冬に土の中でじっと耐え、そして
春にもう一度花開かせるような、そんなようなモノなんだ。

ソレは森羅万象のヒトツで、宇宙の理(ことわり)のヒトツでもあるんだ。
一切はただ流れてゆくんだ。決して留まるコト、なくね。
ソレはちょっとだけ寂しい気もするけど、でもね、とってもとっても、
美しいコト、なんだよ?


私は、「今の私」は、ONSENSに「育ててもらったから存在してる」と、想ってる。
自分と向き合い、悩んで、苦しんで、認めて、受け入れて、愛して
「今のイワセユウコになる」機会をいっぱい、もらったのだ。

私は地球の平和を願ってる。文章やマンガを創作して、そういうコトを伝えようとしてる。
でも私がやるよりも、ONSENSがやった方が「現段階では効率がイイ」。
実際に救われてるヤツがいっぱいいる。だからONSENSを全力でサポートし続けた。

でもソレは今想えば、ONSENSに自分の夢をただ丸投げしてただけだったし、
ヘタすると単に「依存」してただけだった。
「自分の足で立て」と歌うONSENSの1番近くにいた私が、1番自分の足で立って
なかった。

ソレに気づいたAKIRAさんに「ONSENSのやり手ババはやめろ」と突き放されて、
そして、私はようやく、もう一度、自分の足で自分の夢を、歩き始める。
ONSENSから離れてたこの半年は、その為の、大事な大事な時間だったのだ。


ソレに初ライブから、ライブレポをずっとずっと書かせてもらっていた。
好きでやっていたコトだけど、結果として、私の文筆レベルをぐっと引き上げてくれた。
ソレは今後、私が創作で喰ってゆく為のすべての「基礎」を築いた感すら、あるのだ。
そういう意味でも「育ててもらった」って、思ってる。

そう、そう言えば、私はそのライブレポでいつも「架空の誰かの物語」を書いていた。
でも、今さっき気がついたんだけど、今回初めて私は「自分の物語」を書いている。

ああ、そうか。私はようやく他の誰かじゃなく、私自身のコトを、語れる私になれたのだ。
ONSENSの夢じゃない。私の夢を、実現する為に頑張る私に、ようやくなれたのだ。
そう、私自身の歌を、歌い始める日々が、ようやく、始まるのだ。



ラストの「祈りの歌」を、アンコールの「BORN TO LOVE」が追いかける。
AKIRAさんがステージからみんなに「乳ガンで苦しんでる友達のヨウコの病気が
良くなるよう、祈ってください」って募る。あんまりの切実さを伴う、その痛み。
だから私も、祈ったんだ。いっぱいいっぱい祈ったんだ。

どうかヨウコさんの全てが美しくありますように。
どうかヨウコさんの全てが美しくありますように。
どうかヨウコさんの全てが美しくありますように。

祈ったんだ。いっぱいいっぱい祈ったんだ。
祈りなんて行為は随分と非現実的だし、ちょっと心もとない位に頼りないモノだ。
でも私は、ソレをやめない。

「祈りの力」。ソレを私は信じてる。

ソレは去年1年かけて行った趣味での神社巡りの影響かも知れない。旅で出会った沢山の
シャーマンが「祈り」で本当に現実をひっくり返していったのを見た影響かも知れない。
AKIRAさんがサイトを通じて、不特定多数の人に祈ってもらって実際に病気の人を
治してしまった「祈りプリジェクト」を知った影響かも知れない。

でも理由は何でもイイんだ。とにかく私は、祈りの力を信じてる。
だからいっぱい祈ったんだ。いっぱいいっぱい祈ったんだ。


ヨウコさんの、そう、ヨウコさんの全てが美しくある日々はもう一度必ずくる。だって
本当に本当に沢山の人が、彼女の為に、祈ってるから。

そう、奇跡は、奇跡は、いつだって、そう、
愛を、強く強く祈る者のもとへ、やってくるの、だから。



そうして、穏やかで柔らかな優しい拍手に包まれながらライブは、終了。
会場となったカフェ・サンデールームさん手作りの、とっても美味しいチャパティと、
前日開催の埼玉大宮ライブ主催者差し入れの、手作りクッキーとチョコで打ち上げ。

AKIRAさんと大きな大きなハグ。ライブの前に歌とダンスを披露した出演者や
前橋スタッフ、お客さんとも沢山の、ハグ。
少し話をしただけでわかるよ。キミらホント、すげーイイ奴だな!私はみんなに出逢えた
コトがとっても、嬉しかったよ?ちょっと感激してしまった位だよ?

そんな軽く涙ぐみそうになる圧倒的な幸福感の中、ふと周りを見渡せば、ああ、その場所
には相変わらず、笑顔ばっかりしか、もう、なかったんだ。


私は、そう私は、
発狂して私自身の存在が危うくなった時、自分の為に「リストカッター」を歌った。
自らの全てを否定して落ち込む友達の為に「なんくるないさ」を歌った。
メキシコのキノコセッションの時、痛みを抱えるシャーマンの為に「HELLO
  MY MAM!」を歌った。
いつでもONSENSの歌が身近にあった。いつでもONSENSの歌に支えられて来た。
でもこれからは自分の為に自分の歌を、歌うんだ。自分の歌で、自分を支えてゆくんだ。
もちろん時々は、またONSENSの歌に助けてもらうと、思うけどね?


だって、ねえ、ほら、聴こえる?
私の一番奥にいる子供が、嬉しそうに嬉しそうに私自身の歌を、もう、
歌い始めてる。



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